深く茂った大きな木の向こう側

封印していた過去を紐解いていたら、色々なことを思い出してきた。
10代までの記憶って一つもいい思い出がないと思っていたけど、高校生活は楽しかった。
私が通っていたのは自由な校風の、標準的な都立高校だ。
高校一年の時、何人かの友達ができた。
特に「I」とは帰り道が一緒だったので、帰宅途中に喫茶店に寄り道したりたくさんの話をしたのを覚えている。
彼女は華奢で背が高くモテた。クラスの人気者とカップルにもなっていた。
彼女の恋の悩みを聞いてあげたり友達の噂話をしたり、本当に楽しかった。

学年が変わり「I」とはそれきりクラスが同じになることはなかったけど、クラスを超えて常に7,8人くらいで仲が良かったように思う。
3年になっても仲良し同士声かけあって新宿や渋谷に買い物に行ったり、授業をサボったり背伸びをした遊びをしたり、みんなちょっと大人びた普通の高校生。
私が病気になったときにもたくさんの友達が見舞いに来てくれた。彼氏を連れて病院に来た友人の一人は、他の友人にあとからその事をたしなめられたと謝ってくれた。みんな優しいね。
そういえば担任の先生がお見舞いどころか手紙すらくれなかったのは今考えるとありえない気がする。でもまあ、受験期で激務だっただろうし大して好きな先生じゃなかったからいいや。
高校時代に友達をたくさん持てたことは大切な思い出です。

卒業後はそれぞれ進路がばらばらになって会う機会は減って、それでも声をかけあって年に1回ペースで会う機会を設けていた。
20代後半からちらほら結婚する人が出だし子供ができる人もいて、私は幸せそうな彼女たちを見るのがつらくもあったのだけど、会えばそんなことを忘れられるほど彼女たちとの時間は楽しく素晴らしいものだった。

そして、ある年の春、「I」が死んだ。

彼女は生後4ヵ月の子供と夫を残して自ら命を絶った。

どんなにつらかっただろうかと想像する、でもそこに答えはない。
できることが少ないとわかっていても、苦しんでいる人に何かをしてあげたいと思うのが人情だと思う。彼女との交流を欠かさなかった友人たちには頭が下がる。「I」が長い間苦しい思いをしていたのを知りつつも、自分の声かけが意味をなさないと知っていた私は己の病気を盾に何もしなかった。

今脳裏に浮かぶのは高校生の頃の彼女の笑顔だ。私は、自分が知っている彼女の姿を大切にする。
彼女の子供はどうしているだろうか、夫はどうしているだろうかとチラつく。こんなことを文章にして、万が一成長した子供が目にしたら傷つくかもしれない。でも誰かが傷つくことばかり気にしていたら何もできないとも思う。
あなたのお母さんは素晴らしい人だったよ、美しく聡明で人気者だった自慢のお母さんです。

「I」の葬式から10年以上、高校時代の友達とは誰ひとり会っていない。
みんなどうしているだろうか。会いたい。

辛い記憶は木となり長く深く根を張って、暗く大きな葉を茂らせてしまう。
でもその葉を刈り込んでいくと向こうにきれいな路が見えてくる。
手前の暗い茂みは全部刈り込んでしまいたい。幹をナタでかち割って朽ちさせてしまいたい。

春になると震災とともに「I」のことを思い出す。
「あの日を忘れない」と言うのは簡単だけど、今を生きている人にとっては呪いの言葉でもある。
暗い記憶の木は根こそぎなぎ倒して、忘れてはいけない思い出の葉っぱは本の間に挟んで押し葉にすればいい。

路の先には「I」がいる。押し葉を一枚引っ張り出して「忘れてなかったよ」と言ってあげたい。