前回このブログを再開すると言いながら2年半、自分事ながらあきれるばかりだが、この間いろいろなことがあった。
2023年、17年連れ添った犬が死んだ。
私にとって初めてのペットであり、飼い始めた当初は「一緒に死のう」と口にするほど溺愛した。10歳ごろ錐体炎という背骨が溶けてしまう病気になって以来、「一緒に死のう」から「この子を看取りたい」と意識が変わった。
2023年初め、明らかに犬の様子が変化する。
認知症の症状が顕著になり、同じ場所をぐるぐる回るようになった。視力も極端に落ち、部屋中あちこちぶつかるようになった。
対策として大きなフェンスでサークルを作りその中で過ごす。全面トイレシートを敷き、外出時はペットカメラで逐一様子をチェックする。
膵炎にもなり、腎臓病食も欠かせなくなった。
そんなある日、突然私の目の前でバタンと倒れた。驚いて抱き起こしたが硬直して動かない。名前を呼びかけさすったところ数秒して目を覚ましたが、ただ事ではない。すぐにかかりつけの動物病院へ連れて行った。
心臓に水が溜まっている、おそらく心不全を起こしたのだろうとのこと、そこから1か月、日帰り入院が始まった。
朝一番に病院まで連れていく、夕方迎えに行きその日の状況を聞いて連れて帰る。家では数時間ごとに発作を起こし苦しんでいる。見ていられない。
最後の数日、もう食べ物も口にしなくなっていた。どんどん体重が落ち、死が近づいていることは明らかだった。
一日でも長く生きてほしい、でもこれ以上苦しんでほしくない。
私は犬の苦しむ姿と看病疲れで涙が止まらなくなっていた。
そして2023年11月25日午後10時40分。
病院から帰宅し静かに寝息を立てている犬がグンとひと伸びした。そっと犬を抱く。鼓動が伝わってくる。それはゆっくりと弱くなり、そして止まった。
犬と過ごした17年間、 人間で言っても一人の子供を巣立たせるのに近い時間を共に生きた事実は、私にとってかけがえのないものだった。
私がささげた愛は彼女にどれだけ届いていただろうか。
もっとできたことがあったのではないだろうか。
これを書いているのは亡くなって1年半以上たってからだ。
死後半年は喪失感と悲しみで涙が止まらなかった。
あのぬくもりと息遣いが恋しい。愛するものとの別れは人類の英知でどうにかならないものだろうか、いや、無常だからこそ素晴らしいのだ。そう自分に言い聞かせている。